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元政府高官による性的暴行問題の後に引退を表明したペンの輝かしいキャリア

2019年「WTA250 深セン」ダブルス優勝後のペン

ダブルスの元世界女王ペン・シューアイ(中国)は、昨年11月に張高麗元副首相から性的関係を持つよう強要されたとソーシャルメディアに投稿し、テニス界のみならず世界中を動揺させた。以来、一時消息不明になるなど、ペンは疑惑と混乱の渦中にあったが、先日仏紙L’Equipeのインタビューに答え一連の騒動について説明を行った上で、競技生活を引退すると発表。この発言についても、本当に彼女の自由意思で行われたのか疑問視する声は多いが、ここで一度、彼女がテニス界に残した功績を振り返ってみよう。スポーツウェブメディアSportskeedaが伝えた。

ペンはテニス選手として大きな成功を収めた。シングルスよりもダブルスでより大きな結果を残したが、どちらのカテゴリーでも非常に手強い選手として対戦相手に恐れられた。

1986年生まれのペンは2001年にプロに転向。2004年の「ウィンブルドン」で初のグランドスラム出場を果たすが、1回戦でシルビア・ファリナ エリア(イタリア)に敗退。その年の前半は芳しい成果は得られなかったが、後半は「WTA1000 シンシナティ」で初の準々決勝進出を決め、「WTA250 広州」でもベスト8入りするなどの結果を残し、年末ランキング73位で2004年を終えた。

2005年は、まずコート外での戦いから始まった。ペンは、中国の国家テニスプログラムからの決別を決意。このプログラムの下で活動している限り、賞金の半分をプログラムに差し出す必要があったためだ。ペンは、他の中国選手らとともに要望が通らなければ競技を辞めると国側を脅し、やがてその訴えは聞き入れられた。

2005年シーズンは「WTA500 シドニー」で初の準決勝進出を果たすなど、出だしから好調だった。8月に行われた「WTA500 サンディエゴ」では、第3シードのエレナ・デメンティエワ(ロシア)や第7シードのキム・クライシュテルス(ベルギー)を破り再びベスト4に進出。2006年には「WTA250 ストラスブール」で初のファイナリストとなった。

その後数年間、ペンはツアー内で安定した実力を発揮し、トップ50以内にランクインを続ける。2010年は2005年以降で最も振るわなかったシーズンで、勝ったのは15試合、ランキングも年末には72位まで落ちてしまった。しかし、アジア競技大会ではシングルスと団体で金メダル、そしてダブルスで銅メダルを獲得するなど活躍した。

ペンのベストシーズンとなったのは2011年だった。「全豪オープン」で自身初のグランドスラム4回戦に進出すると、「ウィンブルドン」と「全米オープン」でも4回戦進出を果たす。さらには「WTA500 ブリュッセル」で、WTA500(当時はWTAプレミア)大会で初めての決勝進出を果たした。大きな大会で次々と良い結果を残したペンは、自己最高の世界14位を達成。2011年の年間戦績は48勝21敗、年末ランキングは自己最高の17位でシーズンを終えた。

その後2年は、2011年ほどの成績を残せずにいたが、2014年の「全米オープン」で一躍注目を集めることになる。ペンは第4シードのアグネツカ・ラドバンスカ(ポーランド)、第28シードのロベルタ・ビンチ(イタリア)、第14シードのルーシー・サファロバ(チェコ)、そしてベリンダ・ベンチッチ(スイス)相手に1セットも落とさず準決勝まで勝ち進んだ。

しかし、これまで最高のプレーを見せていたペンの身体が、準決勝の舞台で彼女を裏切った。第10シードのカロライン・ウォズニアッキ(デンマーク)との試合の途中で、ペンは激しい痙攣によりプレー続行が不可能となり、途中棄権を余儀なくされた。最後は自力で歩くことも出来ず、車いすでスタッフに付き添われながらコートを後にした。この2014年の「全米オープン」が、ペンのグランドスラムシングルスでの最高成績となった。

続く2年間、ペンは複数の怪我に悩まされが、その後ツアーに復帰すると、2016年に「WTA250 天津」でシングルス初優勝を果たし、さらに2017年「WTA250 南昌」で2度目の優勝を飾った。

2018年と2019年は、ツアーレベルではそれぞれ9大会に出場したのみだった。そしてペンの最後のシーズンとなった2020年、シーズン初めに3大会に出場した後、2月に出場した「WTA1000 ドーハ」の予選1回戦で敗退。その試合が現役最後のシングルス戦となった。

ペンは、シングルスよりもダブルスで大きな成果をあげた。ダブルスでグランドスラムデビューを飾ったのは2004年の「全米オープン」で、いきなり準々決勝進出という結果を残した。2007年の「WTA500 チャールストン」で初めて決勝に進出し、その年の9月に行われた「WTA250 広州」で初優勝。友人でもあったシェイ・スーウェイ(台湾)とペアを組んで、様々な大会で活躍した。2人は2008年後半にペアになってすぐ、インドネシアのバリで行われたITF大会で優勝を飾り、相性の良さを確信した。

2009年、2人は「WTA500 シドニー」で優勝、「全仏オープン」で準決勝進出を果たした。さらに「WTA1000 ローマ」、「WTA1000 北京」も制するなど、非常に好調なシーズンを送った。2010年に一旦ペアを解消するが、2013年にもう一度タッグを組む。再び「WTA1000 ローマ」で優勝したペンとシェイは、その数週間後の「ウィンブルドン」でグランドスラム初優勝。初めて「WTA ファイナルズ」への出場権を獲得し、優勝を飾った。2013年にペンとシェイは5大会を制し、世界ランキング4位でシーズンを終えた。

2014年も2人の勢いは止まらなかった。「WTA1000 ドーハ」で優勝し、ペンはシングルス・ダブルス通じて、そして男女通じて中国選手初の世界ランキング1位を達成。ペンとシェイは「全仏オープン」で2度目のグランドスラムタイトルを手にし、「WTA ファイナルズ」では準優勝。ペンはこの年も5つのトロフィーを手にした。

ペンとシェイは2015年に再びペアを解消するが、これはペンの怪我が理由だった。2016年にツアーに復帰したペンは、別のパートナーと組み、3大会でタイトルを獲得。2017年シーズン開始直後にアンドレア・フラバチコバ(チェコ)とペアを組み、「WTA250 深セン」で優勝。その勢いを保ったまま、2人は「全豪オープン」と「WTA500 ドバイ」で決勝に進出した。

現役最後の数年間は、2019年は2大会で優勝、2020年は「WTA250 ホバート」で準優勝。ハン・シンユン(中国)とのペアで出場した「WTA1000 ドーハ」の2回戦が、ダブルス最後の試合となった。

ペンはこれまでの輝かしいキャリアの中で、ダブルスで23回優勝。中にはグランドスラムでの2勝と「WTA ファイナルズ」のタイトルも含まれる。シングルスでは2タイトルを獲得、7大会で準優勝した。ペンは、リー・ナ、ジャン・シューアイ、ジェン・ジーと共に、中国の女子テニスを牽引した功労者の一人だ。

「もうプロの競技には出場しないけれど、私はずっとテニス選手であり続ける」とペンは語った。今こそ、ペンがどれほど素晴らしいテニス選手であったかを思い出し、彼女のキャリアを讃える時だ。そして、一連の騒動が本当に解決し、彼女が心と体を落ち着ける時間と場所を見つけられるよう願ってやまない。

(WOWOWテニスワールド編集部)

※写真は2019年「WTA250 深セン」ダブルス優勝後のペン
(Photo by Visual China Group via Getty Images/Visual China Group via Getty Images)

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